最高裁判所第一小法廷 昭和41年(オ)1005号 判決 1971年11月25日
上告人
村井政治
代理人
桂辰夫
津田雄三郎
被上告人
大善株式会社
代理人
小田美奇穂
立野造
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人桂辰夫、同津田雄三郎の上告理由第一について。
原判決は、第一審判決の理由を引用することにより、本件賃貸借契約は、被上告人(原告)が期間満了前適法な更新拒絶の意思表示をしないまま期間が満了したため、右期間満了後は、期間の定めないものに更新されたと判示しているのであつて、所論の点につき、判断を遺脱した違法はない。しかして、借家法二条によつて更新された賃貸借が、期間の定めのない賃貸借となると解すべきことは、既に当裁判所の判例とするところである(最高裁判所昭和二七年一月一八日第二小法廷判決民集六巻一号一頁、同二八年三月六日第二小法廷判決民集七巻四号二六七頁参照)。したがつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用できない。
同第二について。
原審は、被上告人(被控訴人)が、本件賃貸借契約の更新後である本訴において解約申入を原因とする主張を維持していることから推断して、所論の準備書面をもつて黙示的に解約申入をしているものと判断しているのであつて、右判断は正当である。されば、原判決に所論の違法はなく、所論は原判決を正解せず、これを非難するものであつて、採用できない。
同第三について。
被上告人の本件係争店舗の敷地利用計画に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠によつて肯認されえないではなく、この事実を本件賃貸借契約の解約申入に関する正当事由として考慮した原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。したがつて、論旨は採用できない。
同第四について。
原審の確定した諸般の事情のもとにおいては、被上告人が上告人に対して立退料として三〇〇万円もしくはこれと格段の相違のない一定の範囲内で裁判所の決定する金員を支払う旨の意思を表明し、かつその支払と引き換えに本件係争店舗の明渡を求めていることをもつて、被上告人の右解約申入につき正当事由を具備したとする原審の判断は相当である。所論は右金額が過少であるというが、右金員の提供は、それのみで正当事由の根拠となるものではなく、他の諸般の事情と綜合考慮され、相互に補充しあつて正当事由の判断の基礎となるものであるから、解約の申入が金員の提供を伴うことによりはじめて正当事由を有することになるものと判断される場合であつても、右金員が、明渡によつて借家人の被るべき損失のすべてを補償するに足りるものでなければならない理由はないし、また、それがいかにして損失を補償しうるかを具体的に説示しなければならないものでもない。原審が、右の趣旨において五〇〇万円と引き換えに本件店舗の明渡請求を認容していることは、原判示に照らして明らかであるから、この点に関する原審の判断は相当であつて、原判決に所論の違法は存しない。したがつて、これと異なる論旨は、採用しえない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(藤林益三 岩田誠 大隅健一郎 下田武三 岸盛一)
上告理由
<前略>
第四、原判決は借家法第一条の二の正当事由の判断を誤つた違法あり。
一、借家法第一条の二によれば賃貸人が賃借人に対し家屋賃貸借契約の解約を申入をするには自ら使用すること必要とする場合その他正当の事由がなければならぬと規定する現代法を貫く契約自由の原則に含まれている、市民法原理に対する社会法的原理による制限である。即ち十八世紀的市民法原理に基く所有権の尊重と二十世紀的社会法原理に基く解約の制限の調和の限界を示したものである。賃貸人に於ける自己使用の必要性の強弱と賃借人に於ける契約継続の必要の強弱を比較校量し賃貸借契約の解約を認むべきや否やを決定すべきものと思料する。このような利益比較の原則は時代により起伏はあるが、学説判例が之を認めている。
二、本件に付右原則を適用するに際り右必要度をA、B、Cの三段階に分ち検討する。Aは賃貸人の死活にかゝる場合、Bは比較的切実な必要性がある場合Cは望ましいと云う場合の三とする賃借人側にも同じく賃貸借関係の継続を必要とする三つの場合がある。而して原判決従つて第一審判決の認定事実を要約すれば次のようになる。
(一) 賃貸人(被上告人)
本件並びに別件繋争の家屋の敷地及び日本交通公社跡空地を含め百七十坪余の土地に大沢グループ五社を収容する近代ビルを建設する必要より解約の申入をしたが、その後前掲債務弁済のため右日本交通公社跡の空地を切離し、一先づ売却し該債務の弁済した、仍て残地たる本件並びに別件繋争の家屋の敷地を以てビル建設用地とし従前通り大沢グループ五社を収容するビルを建設する為必要だと云うに在る。
(二) 賃借人(上告人)
原判決は、
(1) 本件店舗が上告人主張のように北八〇米位に市役所、京都ホテル、東三〇〇〜四〇〇米に三条京阪を控え南は河原町繁華街が続き、西南の裏通は有名な新京極を控え、店舗前は河原町三条北詰バス停で現在では終日十四系統線の市バス、外郊外バスが絶え間なく往来し繁華街から住宅地たる北白川、上加茂方面えの帰宅客の乗車位置に位する。
(2) 本件店舗は開業当時の売上げは一日三、四千円、多い時で五千円であつたのに現在では一日七、八万円多い時では十万円にも達し、本件店舗の価値は前記地理的環境と相俟つて相当高く評価すべきで、京都市内に於て従前通り実績を維持するような移転先を見つけることはかなり困難である。
と認定し之等の事情から被上告人の解約申入事由は尤な事由であるが、他方上告人は本件店舗の外にも店舗を賃借しているけれども、他に移転しても本件店舗のような格好の場所を見出すことは六ケ敷く従来の実績を維持することも困難な事情にあると結論づけしている。
(二) 右(1)(2)の事実を冒頭説示の利益比較の原則に従い必要性の強弱による三つの段階に従つて区分すれば被上告人の必要度はCクラスからB、Cの中間位しか認められない。他方上告人の賃貸借契約継続の必要度はAクラスに属する。
三、以上判決の認定事実からでも窺えるように解約申入れの正当性はない。汎や原判決は認定していないが第一審及び原審に於ける上告人の尋問結果から窺える「開業早々の厳しい経済時代から二十年に亘り営々として築き上げた老舗、明渡後に到来するであろう再起の困難性」を思うとき、明渡が上告人に与える打撃は決定的である。原判決が正当性の補充として支払を命じた五百万円位の金員でカバーできると考えることは余りにも老舗の価値と企業開発の困難性を知らなさすぎる。一国経済の健全な発達は中小企業は勿論零細企業の調和のとれた発達なくしては考えられない。然ればこそ政府も零細企業を含めて中小企業対策を樹立し之が推進に力を入れている。然るに原判決の如き態度を以て賃貸借関係に臨むならば、中小企業対策は裁判の面から逐次崩潰され、一国経済の発達は阻害されるであろう。一方被上告人は親会社たる株式会社大沢商会を中心とする所謂大沢グループ五社の一で親会社である大沢商会は増資に際し昭和三十八年十二月から証券取引所第二部に上場され漸く近代的企業形態えと脱皮に踏切つた企業の形態内容は大とは云えないが、京都を発祥の地とする丈であつて、地味ではあるが、極めて手固い企業で近代化を整えるため或程度の社屋建設に要する敷地を有することが望ましいが、前掲必要度から見てCクラスに属し決してBクラスの切実な必要性は存しないのに、僅か五百万円の支払によつて正当性が生ずとして上告人に店舗の明渡を命ずるのは前掲中小対策にそぐわず賃借人保護を強く打出している借家法の精神に違背し所有権尊重にすぎ借家法第一条の二に違反する。
四、そもそも正当性の有無は本来利益比較の原則に従つて必要の強弱により判断すべきで一定額の金員の附加により補充さるべきものでないが、学説判例が金員の附加により正当性に対し補充性を認むるに至つたのは所有権と利用権の調整を図り当事者双方の希望を或程度満足さすと共に当事者双方の犠牲を求めて事態を解決しようとする妥協案である。斯る見地から原判決の認定した立退料五百万は勿論乙八号証鑑定書の賃借権の評価額千五百余万円でも低きにすぎる。右鑑定も上告人の努力蓄積結果は一応算定されてはいるが立退後新しい場所で従前の実績を築くために要する努力と苦労は計算外になつているので之を考慮に入れると少くも評価の倍額の三千万円を以て相当とすべきに拘らず原審は何等の根拠もなく慢然と立退料五百万円と認定したのは、理由齟齬又は借家法第一条の二の解釈を誤つた違法がある。